レ点腫瘍学ノート

Top / 日記 / 2022年 / 3月5日

エキスパートパネルを省略できる要件は現実的か問題

がんゲノム

がん遺伝子パネル検査を実施した後の治療に推奨や二次的所見の判定のために実施されている専門家会議(エキスパートパネル)を簡略化・省略するための要件が2022年3月3日に発表されました。

日本臨床腫瘍学会などが要望を出していたことを反映しての決定のようですが、この決定内容によってがんゲノム医療の現場はどの程度変わるのでしょうか。Twitterやその他のSNS、また実際の現場で相談していたことをもとに、期待されるメリットと実運用への懸念点について記載します。

背景因子

これまで、がん遺伝子パネル検査の結果を解釈するために、がんゲノム医療中核拠点病院やがんゲノム医療拠点病院で各種の専門家がリアルタイムで集まって実施されるエキスパートパネルが開催されてきました。しかし、このエキスパートパネルは一症例毎に数多くのスタッフの時間と手間を要するため、準備担当者や参加者の大きな負担となっています。エキスパートパネルを行う前の情報収集や病歴サマリーの作成は必要な作業ではありますが、がん遺伝子パネル検査を実施したすべての症例の治療方針などを全員が集合して検討するにはがん遺伝子パネル検査を実施する症例数が増えすぎて、効率が悪くなってしまっていました。

エキスパートパネルを行うための負担が大きくなると、1週間あたりにさばける症例数にも限りが出てきてしまいます。検討症例枠を増やすのにも限度があるので、がん遺伝子パネル検査は完了しているのにエキスパートを行うために何週間のために何週間も待たなければならないという事態も発生します。組織検体ではなくリキッドバイオプシーでのがん遺伝子パネル検査が行えるようになると、検査そのもののTAT(検査を提出してから結果レポートが返却されるまでの時間)が数日短くなるとのことでしたが、そこで数日を短縮できてもエキスパートパネルを行うのに何週間も待つようだと意味がありません。エキスパートパネルを行うこと自体が、円滑ながんゲノム医療を阻害するという皮肉な結果を生んでいました。

そこで、エキスパートパネルの開催を保険算定の必須要件から外そうという要望が出てきていたのです。

公的な通知

2022年3月3日に発表された情報のソースは下記の2つのようですが、今のところまだインターネットには公開されていないようです。がん遺伝子パネル検査を実施している医療機関には厚生労働省の当該部門から通知のPDFが届いているはずです。

  1. 健が発0303第1号厚生労働省健康局がん・疾病対策課長通知
    「エキスパートパネルの実施要件について」
  2. 健が発0303第1号厚生労働省健康局がん・疾病対策課事務連絡
    「エキスパートパネルの実施要件の詳細について」

今回の改訂内容

エキパネ実施要件の変更すげー!これは大幅簡略化だな。厚労省健康局がん疾病対策課事務連絡2022/3/3。
「遺伝子変異検出なし、エビデンスレベルAとRのみ、MSI-Hのみ、TMB-Hのみ」の場合はネットで事前協議だけして意義なければリアルタイム形式のエキパネ省略可能になるのか!これはすごい大変革。

— レ点.bot💉💊🧬 (@m0370) March 4, 2022

がん遺伝子パネル検査を行った結果として「遺伝子変異検出なし、エビデンスレベルAとRのみ、MSI-Hのみ、TMB-Hのみ」の場合はクラウド上のファイル共有サービスなどで事前の「持ち回り協議」だけして、出席者の見解不一致がなければリアルタイム形式のエキスパートパネルが省略可能になるようです。この場合は事前検討のみでエキパネを開催したものとするようです。事前検討で見解不一致がある場合はリアルタイムエキパネを必須となります。

この制度が始まることによる利点

検査結果説明までのスピードアップ

全く遺伝子変異が検出されなかった場合や、すでにエビデンスレベルAの治療が確立された遺伝子変異がある場合はエキスパートパネルを大幅に簡略化できます。拠点病院のエキスパートパネルの予約がなかなか取れず検査結果説明までの進捗が滞っていることもありますが、クラウド上の持ち回り協議を通常のエキスパートパネルよりも前倒しで実施できるようになれば、がん遺伝子パネル検査の提出から最速3週間程度で結果を説明することもできるようになりそうです。

リキッドバイオプシーでctDNAが少なかった場合は全然遺伝子変異が検出されないことがありますが、この場合も今では結果説明まで1.5〜2ヶ月待たされてしまいます。これがすぐに説明できるようになれば、(治療が無いということで残念ではありますが)さっさと治療方針を切り替えてしまうことができます。

また、NTRKやMSI-Hのように保険適用がある結果が得られた場合も今まではその治療薬の投与までにエキスパートパネル開催を待つことがありましたが、今後はこれらの遺伝子変異が検出されれば迅速に治療を導入することもしやすくなります。

エキスパートパネル混雑緩和により全体に待ち時間が短縮

エキスパートパネルを開催しなければならない症例数が減るため、枠に余裕が出てエキスパートパネル待ち時間も短縮され、簡略化対象とならない症例にも間接的に良い影響がありそうです。

参加者の身体的・時間的な負担軽減

なにより、エキスパートパネル参加者への負担が減り、がんゲノム医療全体が効率化されます。どの医療機関でもがんゲノム医療に関わる人員が不足していて検査キャパシティが問題となっているため、現状の体制のままで検査実施数を増やすために1症例あたりの負担をどうやって軽減するかというのが重要なポイントになっていました。

実運用への懸念点

上記のメリットから今回のエキスパートパネル簡略化への道筋が付いたことは現場ではかなり歓迎されていると思います。数年前からのJSMOなどからの要望がようやく認められたのです。

しかし、示されたエキスパートパネルの簡略化可能な要件を見るとなかなか厳しく、その実効性には少し疑問が残ります。というのは、検出された遺伝子変異が全て「遺伝子変異検出なし、エビデンスレベルAとRのみ、MSI-Hのみ、TMB-Hのみ」のいずれかに該当する場合、というのがかなり狭き門だからです。

エビデンスレベルAというのは、当該疾患ですでに標準治療となっているものに当たります。例えば肺癌でEGFR変異が検出された場合や、乳癌でBRCA変異が検出された場合などです。これはFoundationOne CDxを行う前に既に保険承認のコンパニオン検査を実施されていることが少なくないので、FoundationOne CDxで初めて判明するエビデンスレベルAの遺伝子変異というのは比較的稀です。当該疾患ではなく他臓器で標準治療となっているもの、例えば膵癌でBRAF V600E変異が検出されるようなケースはエビデンスレベルAではなくエビデンスレベルBとなります。

エビデンスレベルRというのはいわゆる耐性変異のことです。例えば大腸癌でKRAS変異が検出されている場合は抗EGFR抗体の効果が得られないことが知られているので、大腸癌でのKRAS G12D変異などがある場合のセツキシマブやパニツムマブはRとなります。

エビデンスレベルAやRのみが検出されるというケースは多いのか?

実際のところ、エビデンスレベルAの遺伝子しか検出されないというケースはほとんどないように思われます。

C-CAT統計情報を見るとこれまでに異常が見つかった遺伝子を上位から順に並べると、TP53、KRAS、APC、CDKN2A、KMT2D、BRCA2…と並ぶようです。TP53はがん抑制遺伝子としての知名度も高く存在感は抜群ですが、このTP53を標的として有効性を示した治療はありません。C-CATではドキソルビシンが提示されることがあるようですが、エビデンスレベルの高い治療はありませんし、これをもとにドキソルビシンを推奨するということも普通は行いません。

しかし、エビデンスレベルEやF、つまり非臨床試験での有効報告があったり実験室環境的に有効性が期待できる機序があればそれだけで、エキスパートパネルを省略可能なエビデンスレベルAとRのみという基準から外れてしまいます。ということは,TP53が検出された症例ではエキスパートパネルは省略不可能ということになります。

CDKN2AやmTORパスウェイに関与する遺伝子もエビデンスレベルDやEのものが表示されることが多く、これらもエキスパートパネルが省略できません。今後は、パルボシクリブやエベロリムスなどがいつもエキスパートパネル簡略化クラッシャーとして立ち塞がるのではないでしょうか。

なお、エビデンスレベルAとBが両方表示される遺伝子異常もあります。例えば乳癌でBRCA1が検出された場合は、オラパリブがエビデンスレベルAで提示されると同時に、2022年3月時点のデータに照らし合わせるとおそらく卵巣癌のエビデンスに引っ張られてオラパリブ+ベバシズマブ併用療法がエビデンスレベルBとして、また前立腺癌に対するルカパリブも同じくエビデンスレベルBとして、それぞれ提示されるでしょう。こういう遺伝子変異の扱いについては今回の通達だけでははっきりと扱いが明言されていませんが、これらはエビデンスレベルAがある遺伝子としてエキスパートパネル簡略化の対象に含めてしまっても良いということになるのではないかと思います。

MSIやTMBのみが検出される場合はあるのか

MSI-HやTMB-Hのみという場合はどうでしょうか。エキスパートパネルを持ち回り協議で済ませて免疫チェックポイント阻害剤の投与を検討できるというのは助かります。しかしMSI-HもTMB-Hも遺伝子変異頻度が非常に大きくなるので、MSIとTMBの項目だけが単体で引っかかって他の遺伝子変異は引っかかってこないというパターンはあまり無さそうです。おそらく、その他のパッセンジャー変異が無数に検出されます。そうなるとエビデンスレベルEやFの治療を含む遺伝子変異もたくさん引っかかってくるので、結局はエキスパートパネルを簡略化できる対象からは外れてしまいます。

その他の関心事項

エキスパートパネルに対する算定

2022年4月からの診療報酬改定で、がんゲノムプロファイリング検査の実施に44,000点が付き、その後にエキスパートパネルを実施して結果を説明すればさらに12,000点が付くというようにがん遺伝子パネル検査の保険点数が改められています。エキスパートパネルを簡略化し持ち回り協議で済ませた場合に12,000点部分も算定できるのかどうかが気になるところです。

クラウドで事前に参加者が「持ち回り検討」して、異議があれば言えるようにしておく必要があるようです。それで異議が出なければ持ち回り検討でエキパネをしたとみなして良いようです。

— レ点.bot💉💊🧬 (@m0370) March 4, 2022

これについては事前に実施する持ち回り協議で見解の不一致がないか確認できるようにしておき、見解の不一致などの意見が出た場合はリアルタイム方式の(つまりメインの)エキスパートパネルを行えるようにしておけば、事前の持ち回り競技を以てエキスパートパネルを開催したこととして良いとの事務通知が出ています。

まあ、そうでもしないと「絵に描いた餅」もいいところですよね。厚労省側としても医療機関側の不安点を払拭しようとしてくれているような配慮は感じます。

バイオインフォマティシャンの配置

バイオインフォマティシャンに関する配置基準についての議論もされていたので、これが義務化されるようになると大学病院ではない医療機関にとってはかなりハードルが上がってしまうことが懸念されていました。しかし、今回の決定事項をみると「シークエンスを自施設で行う場合には」という場合のみの義務化のようです。先日のJSMO2022のランチョンセミナーで発表されていたように、東大病院は院内検査室でゲノムシークエンスができるように体制を整備して認証を取っておりNCCオンコパネルの内製化を進めているようです。そのような一部の先端的な施設に限っての配置義務化のようです。これはホッとしました。

エキパネにバイオインフォマティクス専門家の参加が必要なのは「シークエンスを自施設内で行う場合には」とあるので、東大みたいにNCCオンコパネルを院内でやってる一部の先端的施設だけで、シークエンスをFMIに外注する一般的な中核拠点・拠点はバイオインフォマティシャンは必須ではなさそう。

— レ点.bot💉💊🧬 (@m0370) March 4, 2022

結局どうなるのか

遺伝子変異に基づく治療としてエビデンスレベルAとエビデンスレベルRのものだけを対象にしたのは、期待したよりも厳しい規制でした。

全然遺伝子変異が検出されなかったようなパターンでエキスパートパネルを事前協議で済ませることができるようになるというのは良かったのですが、真面目に検討した結果、エキスパートパネルを省略できるのは事実上はごくわずかの症例に留まりそうな印象です。

JSMO2022で京大病院の吉岡先生が、エキスパートパネル症例のうち45%程度の症例は簡易エキスパートパネル(ショートサマリー)で済ませても方針に影響はないということを発表されていました。治療につながる遺伝子変異がないなど、アクショナブルなものが検出されなかった症例をスライド1ページのみのショートサマリーにすることでエキスパートパネルの省力化ができるという発表でした。しかし、「アクショナブルな遺伝子変異が検出されない」というのと「エビデンスレベルAとRしか検出されない」というのは、臨床上の意味はほぼ同じですが、がんゲノム医療運用の実務への影響は雲泥の違いがあります。

今回のエキスパートパネルの簡略化もせめて全症例の45%程度に適応できれば現場の負担はかなり減らせたと思うのですが、TP53など治療対象とならないのに検出頻度が高い遺伝子変異のことを考えると、今回のエキスパートパネル簡略化の恩恵は期待したほどには現場の負担を軽減してくれなさそうな印象です。せめてエビデンスレベルEとFのものもエキスパートパネルの簡略化の対象に含めてもらうことができればもう少し実用的な精度になったような気もするのですが…。


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更新日:2022-03-05 閲覧数:1735 views.