レ点腫瘍学ノート

Top / 日記 / 2021年 / 7月26日

印象深かったセカンドオピニオンの話

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がん診療とセカンドオピニオン

普段からがん患者さんばかりを相手に診療をしていると、都市部のがん診療拠点病院、特に大学病院やがんセンターなどの専門病院にセカンドオピニオン目的の紹介をすることがしばしばあります。

セカンドオピニオンの紹介をすると、患者さんがその病院でセカンドオピニオンの担当医と面談して何らかの話をした後に、その結果報告が(多くの場合は郵送で)送られてくるわけです。いろいろな病院の様々な診療科に紹介している関係で、色んな医者のセカンドオピニオンの返事を目にすることがありますが、やはりそこにはセカンドオピニオン担当医の性格が出るというか、返信の内容も多種多様です。


セカンドオピニオンの趣旨に照らせば

セカンドオピニオンの本来の趣旨に照らせば、その患者の病状に対してどのような治療方針が妥当であるのかをセカンドオピニオン担当の専門医が患者・家族に示すことがセカンドオピニオンの基本になります。

いかに先進的治療を実施している医療機関であっても、(がん治療は都会でも地方部でもかなり医療機関どうしの治療水準の均てん化が進んでいる領域なので)多くの場合はその臓器のがん診療ガイドラインに準拠した返答になることが多いでしょう。したがって、「○○がんのstage IVで肝転移・肺転移が切除不能であるので、標準治療である○○併用療法による全身化学療法を受けるよう提示しました」という型どおりのお返事であることが一番多いですし、これが本来のセカンドオピニオンの形であるとも思います。

やはり何か「救い」や「一発逆転」を求めて専門病院のセカンドオピニオンに行かれる方が多いですから、期待に胸を膨らませて、あるいは藁にもすがるような思いで、体調がすぐれない中で遠くの専門病院まで行かれるわけですが、そこまで行ったのに「そんなものはない」という厳しい現実を突きつけられて大変落胆され、失意の中で戻ってこられる方も少なくありません。


セカンドオピニオンへ送り出した患者さん

しかしかなり前の話になりますが、とあるがん専門病院のセカンドオピニオン外来からいただいたお返事は印象深いものでした。あまり事細かにここで紹介することは個人情報の保護や守秘義務の観点からもできないのですが、その雰囲気が少しでも伝えられるように差し支えない範囲で(=個人が特定できないようにして)ご紹介したいと思います。

その患者さんは、比較的めずらしいタイプのがんをお持ちの方でした。それまでにすでに1年弱の抗がん剤による治療を受けてこられており、また詳細は書きませんがある臨床試験にも参加されたことのある方でした。しかし徐々に病状が進んできて、今後の治療をどうしようかと相談する段階でした。

抗がん剤治療としては、まだ使える薬が1種類だけは残っている状況でした。しかしこれまでのぼくの経験からすると、その治療が高い効果を示すことはなかなか期待できないというのが正直な予測でした。いわゆるECOGのPSは0、つまり治療に耐える体力的にはまだ余裕がある状態でしたが、それまでの治療歴から言ってもその方の病状において最後の薬の奏効率は極めて低いだろうと思わざるを得ない状況だったのです。

それでも選択肢としては候補にあがる治療薬ではありましたから、本人と家族がとある都会の専門病院へセカンドオピニオンに行きたいと言われたときに、もしうちの病院でもう一度抗がん剤治療に挑戦するならこの治療薬を使おうと考えていること、しかし率直なところを申せば高い効果が期待できるわけではないのでこの治療薬を使わない選択もあること、セカンドオピニオンに行かれた場合にはぜひ専門病院の先生にもこの治療に関する考えも聞いてみてほしいことをお伝えして、セカンドオピニオンへ送り出しました。


しばらくしてからご夫婦で再び来院され、その専門病院でのセカンドオピニオンでのご様子を聞かせてくれました。

専門病院のセカンドオピニオン担当の腫瘍内科の先生は、当院から持参されたこれまでの病歴や検査データなどをご覧になったあと、まず1年弱の抗がん剤治療を頑張って来られたことについてご本人の頑張りをねぎらう言葉をかけ、次にそれを支えてこられた家族に対しても親身にやさしい言葉をかけてくれました。

そして、次に現在の病状を客観的な視点から見たときにあなたが受けてきた治療はその専門病院の治療水準から見ても問題ない内容であり、あなたがこれまでにしてきた選択は間違っていないというような意味のことを説明されました。

実際のところは、それまでに一般的な「ペイシェントジャーニー(患者の治療歴などのたどってきた道のり)」からすればやや亜系とも言える治療変遷を辿ってきたこともあって、ご家族はそのことをずっと気にかけておられたのですが、セカンドオピニオン面談の場でその人がした過去の選択を「否定」したり「非難」したりすることはしません。その時に正しいと思った道を選んだことを後悔する気持ちを持ち続けるのではなく、これから進んでゆく方向を見るようにと促してくれました。このことは、ご家族からすればずっと心の中に重く垂れ込めていた後悔の暗雲がサーっときれいに晴れ渡るような心地がしたのではないかと思います。

そして最後に、今後の治療選択について、(本人の治療意欲の高さを汲み取って)残された1種類の治療薬を試してみてはどうかと勧めた上で、「ただし」と留保をつけられました。一度やってみて負担が大きいようであれば決してその治療を続けることに拘泥してはいけないこと、抗がん剤治療を長く続けること自体が目標ではないということ、そして抗がん剤治療をやめた後にまだ続く人生のことにも思いをはせるべきであることというような意味のことを、(かなりの時間をとって)説明してくださったのでした。

実際にはこちらの外来でもそれに似た内容のことを、それこそ、がんの診断がついた日からずっと小出しに繰り返し伝えてはきていたのですが、同じような中身のことでも、やはり専門病院の専門医からも同じ説明を聞くことで、その考え方がようやく腑に落ちたとのことでした(これは、それまでのぼくの説明に関する実力不足のせいかもしれませんが)。


結局、その方はがんが発覚してからその日までたどってきた1年間についてずっと「何かもっと上手い方法があったのではないか、どこかで道を誤ったのではないか」という後悔や不安の念を抱きながら過ごしてきていたのだろうと思います。そして、セカンドオピニオンに行って、そこで真剣に向き合ってくれたセカンドオピニオン担当医の話を聞いて、ようやく誰かに認められたような、許されたような、そんな気持ちになったのでしょう。


そして感じたこと

生死を賭けた思いでやってこられるがん患者さんを相手にするセカンドオピニオンを受ける立場にあるならば、高い医療水準の知識や情報を持っていることは大前提ではあります。それは当然そうなのですが、もしかすると大切なことはそれよりもっと高いところにあるのかもしれません。

エビデンスだとかガイドラインだとかそういう即物的なものではなく、セカンドオピニオンで他の医師の声も聞きにゆくということ自体がACP的なものを縁取ってゆくのだと、自分の言葉がその患者さんのそれからの人生を左右するかもしれないのだと、そういう気概を持った人こそが真の意味でのセカンドオピニオンを作るのだというと、ちょっと言い過ぎでしょうか。

うまく言語化できませんが、たぶんこのダラダラと長い文章をここまで読んでくれた方なら、この言いたいことをわかってくださることでしょう。

その専門病院のセカンドオピニオンでは腫瘍内科の担当医とこういう話をしたんです、と教えてくれるその患者さんの表情は、実に晴れやかな、そして満足げなものでした。

そして、その話をウンウンと聞きながらぼくは、自分が誰かのセカンドオピニオン面談の依頼を受ける時にも、こういう話をできるようにならなければならないと思ったのでした。


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更新日:2021-07-26 閲覧数:3520 views.